ナガラミの思い出
             
寺田守

 春から夏にかけて魚屋やスーパーの店先でナガラミを見かける。ナガラミは海の巻貝の一種、食用としてファンも多いのではと思う。千葉県産が多いが、中には前浜、遠州灘産との表示もある。
私の母親は浅羽海岸近くで育ったので、亡くなるまで海が懐かしかったように思う。かつて波打ち際までに行くには、いくつかの松林と砂堤を越えて歩いた。そして最後の大きな砂山を登りきると、堆砂垣が続く砂浜の向こうに太平洋の広い海原が見えた。
私の子供の頃、行商人が前浜で採れた魚介類を売りに来た。冷蔵庫など無かった時代、運んでくるのも大変だったろう。その中にナガラミがあった。母はそれを買うと鍋に塩を入れた湯を沸かした。茹で上がったころ、つま楊枝で身を取り出すのを手伝った。母はそれを炊き込みご飯や、ネギヌタにして食卓に出してくれた。しかし子供の頃は、正直あまり好きではなかった。
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このナガラミ、実はこの地方の方言のようで、全国ではナガラメ、キシャゴ、ダンベイ、マイゴなどと呼ばれているようである。正式名称はダンベイキサゴ、團平喜佐古と書き、主に千葉県房総半島より南に生息しているようである。これだけ多い方言があるということは、それだけ全国各地で親しまれてきたからであろう。
このナガラミ、よく見ると実に多様な色彩や模様がある。黒っぽいものや白色、うす茶色のものがある。また渦巻き状の曲線に沿って白や黒の縞模様があるものもある。表面は固くツルツルしていて、海の宝石と呼ばれるゆえんである。
生育環境は、水深5―30mの外洋に面した砂底を好んでいるようだ。その点、潮干狩りなどをする波打ち際の貝類とは異なる。従って採集はもっぱら、漁師などの専門家の仕事である。    
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このナガラミの祖先が市内宇刈の大日層から見つかっている。この地層は今から200万年前の貝化石を多く含んだ地層で、日本地質学会が認定する静岡県の化石に指定されている。
大日層からは、ナガラミの祖先であるスウチキサゴ、サブスウチキサゴと呼ばれる化石が発見されている。このスウチという名称は、「周智」郡からきている。
スウチキサゴは約500万年前に分岐した種で、貝殻の形は現在のナガラミより甲高で、か粒列と呼ばれる突起が渦巻きの中心にまで並んでいる。
一方のサブスウチキサゴは160万年前に出現した種で、か粒列と言われる突起は巻きの途中で消えている。そして幾分平たい。
現在のナガラミはというと、ご存じのように形状はそろばん玉状、表面は固く滑らかで突起状のものはない。
宇刈里山公園を整備するとき、延原尊美静岡大学教授にご指導いただいた。先生によれば、大日層が出来た頃の海は、今よりずっと温暖だったようだ。しかし地球環境の変化から、ナガラミの祖先は次第に外洋浅海域に進出し、波荒い砂層に住むようになったようである。こうした環境であれば突起は邪魔になり、波の抵抗を受けにくい扁平が有利となる。これはナガラミの進化の過程を証明するものだという。
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現在浅羽海岸へ行くと、周辺の景色は大きく変わっている。3・11東日本大震災から一一年、想定される津波に備え海抜12mの防潮堤が延々と築かれている。この事業は幸浦プロジェクトといわれ、今新たに「海のにぎわいづくり」が始まろうとしている。
海岸は浸食防止のため、太田川河口から土砂を搬送するサンドバイパス事業が続けられている。事業は必ずしも順調ではないが、年間8万㎥の土砂を前浜に運ぶという。台風などが来ると太平洋自転車道近くまで波が押し寄せているが、海を見ると白波が立つ位置が沖の方になってきており、事業の成果は出てきているという。
500万年前という人類誕生よりはるか昔から生息し、少しずつ姿を変えながら環境に適用してきたナガラミ、砂底を這いながらこの変化をどのように感じているだろうか。
参考:「宇刈里山公園」案内看板(延原尊美監修) 「しずおか自然史」静岡新聞社発行